医療従事者向けお役立ち情報
コラム
2025.4.10
萩谷英大先生は感染症の診断・治療と制御・対策、薬剤耐性、感染症の流行調査など、幅広い専門分野に精通されています。実際の現場で感染症診療や感染制御に従事すると同時に、研究活動にも注力されています。今回は、2025年4月に開催される大阪万博に関連し、大規模イベントにおける感染症の危険性や過去の事例の紹介と、効果的な感染症対策について解説していただきます。
いよいよ2025年4月より日本国際博覧会(大阪・関西万博)が始まります!「いのち輝く未来社会のデザイン」をテーマに、大阪市の夢洲(ゆめしま)で半年間にわたって開催される国際博覧会で、世界中のさまざまな国がブースを出展します。総計約2,820万人の来場者数のうち海外からの参加者は約350万人(12%)になると見積もられており、大阪をはじめとした関西地方は大いに活況を呈することでしょう。
経済や文化の振興が盛り上がるのは大いに結構ですが、感染症が盛り上がっては困ります。「人がいるところで感染症は増加する」ことを歴史は我々に教えてくれていますが、人の数が多ければ多いほど、感染症が持ち込まれるリスク・それが拡散するリスクが大きくなるのは想像に難くありません。マス・ギャザリング(Mass Gathering)とは「一定期間、限定された地域に、同じ目的で多くの人が集まること」とされており、具体的にはオリンピック・ワールドカップなどの大規模スポーツイベントが挙げられます。イベント期間中は世界中から一気に大勢の人が押し寄せることで、①人口の増加、②(不特定多数の)接触機会の増加が発生します。しかも、ただ人が増えるだけではなく、出身が異なる人が集まるために罹患歴・ワクチン接種歴などの免疫背景が異なる集団が形成されるため、③集団免疫の脆弱化につながります。さらに、④通常は流行が地域限定的な感染症が輸入感染症として持ち込まれると早期診断・適切な感染対策が難しい、ということもマス・ギャザリングにおける感染症リスクの要因として挙げられます。
人や文化の交流のためにはこうしたイベントの定期開催は必要ですが、昨今のグローバル化により以前に増して感染症拡散リスクが相対的に高くなっており、感染症対策を意識したイベント開催をすることが重要性だと思います[1]。直近では、2021年に開催された東京オリンピックでは新型コロナウイルス感染症が世界的なパンデミックを起こしている真っ只中であったため、無観客試合で開催されたということが記憶に新しいと思います。ここまで極端な感染症対策が実施されることは今後あまりないと思いますが、一定の感染症対策は必要になってくるでしょう。
国内外で報告されたマス・ギャザリングに関連する感染症のアウトブレイク事例を表1にまとめました。この中で、日本で発生して一時的に注目された世界スカウトジャンボリーについて簡単にご紹介します。2015年に山口県で開催されたこのイベントでは、世界155の国と地域から約3.3万人の青少年が集まりました。これに関連してスコットランド隊とスウェーデン隊の関係者合計6名が髄膜炎菌感染症を発症したと報告されています[2]。そして、英国はこのイベント参加者のうち濃厚接触者に対して曝露後予防のための抗菌薬投与とワクチン接種を行ったことが報告されています。
発生年 | 場所 | イベント | 感染症 |
---|---|---|---|
1991年 | 米国 | 国際体操競技会 | 麻疹 |
2002年 | 米国 | ソルトレイクシティ・オリンピック | インフルエンザ |
2006年 | ドイツ | サッカーワールドカップ | ノロウイルス |
2006年 | カタール | アジア競技大会 | 水痘 |
2007年 | 米国 | 国際青少年スポーツ大会 | 麻疹 |
2014年 | 米国 | ソチオリンピック | 麻疹 |
2015年 | 日本・山口県 | 世界スカウトジャンボリー | 髄膜炎菌感染症 |
2020年 | 英国・伊 | サッカー UEFA | COVID-19 |
例年 | サウジアラビア | メッカ巡礼(Hajj) | 髄膜炎菌 |
2024年に開催されたパリオリンピック・パラリンピックに先んじて、フランスの研究者が夏季シーズンの大規模スポーツイベントに関連して発生した感染症アウトブレイク事例に関して文献レビューをしました[3]。MEDLINE上で実施したスクリーニングの結果、475の文献が対象となり、最終的に54報が詳細な解析対象となりました。この中でオリンピック・パラリンピックに関連した報告が7事例、サッカー大会(ワールドカップ)に関連した報告が12事例だったようです。報告の中で筆者が注目した点を以下に列記します。
ということで、筆者らはマス・ギャザリングにおける感染症リスクは限定的であると見積もっています。しかし、世界的な感染症の流行は常に流動的であり、マス・ギャザリング・イベント開催にあたっては、感染症情報のアップデートと事前準備、そして柔軟かつ迅速な対応が常に重要だと考えています。
マス・ギャザリング・イベントに関連して発生しうる感染症に関して表2にまとめます。これらのうち、あまり聞きなじみのない髄膜炎菌感染症について特徴や注意点を簡単にお伝えます。
髄膜炎菌感染症は、Neisseria meningitidisという細菌が原因で、致死率が約10%と重症度の高い侵襲性髄膜炎菌感染症を引き起こします。飛沫感染症でヒト・ヒト感染を起こすため時に大きなアウトブレイクを起こすことで有名です。日本では年間を通して10-20例ほどしか感染症発症者の報告はありませんが、国際的にはアフリカ・サブサハラ地域における髄膜炎菌ベルト地帯(図1)やサウジアラビアのメッカ巡礼(ハッジ: Hajj)での発生報告が多く、これら流行地域に人の往来がある際には十分に注意をするべきです。侵襲性髄膜炎菌感染症の予防のためには、髄膜炎菌血清群A、C、W及びYの莢膜多糖体に対する特異的抗体産生を誘導するメンクアッドフィが国内で接種可能ですので、流行地域への渡航前にはワクチン接種を検討していただきたいと思います。
感染経路 | 感染症 |
---|---|
飛沫・空気感染症 | インフルエンザ、新型コロナウイルス感染症 |
流行性ウイルス疾患(麻疹、風疹、流行性耳下腺炎、水痘) | |
髄膜炎菌感染症 | |
経口感染症 | A型肝炎、ノロウイルス、サルモネラ、腸管出血性大腸菌O157など |
性感染症 | 梅毒、淋菌、クラミジア、HIV |
蚊媒介感染症 | デング熱、ジカウイルス感染症、チクングニア熱など |
その他 | 薬剤耐性[4] |
図1.アフリカ・サブサハラ地域における髄膜炎菌ベルト地帯
https://wwwnc.cdc.gov/travel/yellowbook/2024/infections-diseases/meningococcal-diseaseより引用
マス・ギャザリングに関連した感染症発生を予防するための具体的な方策についても思考を巡らせてみたいと思います。
適切な感染症対策のためには、流行状況を正確に把握することが最も重要です。イベント開催前後を含め、特定の感染症の増減トレンドをモニタリングするサーベイランスを国・自治体レベルで実施することで、早期の把握・アウトブレイク対応が可能となります。実際のオリンピック関連事例として、1984年のロサンゼルス大会では救急外来受診数を基にしたサーベイランス[5]、2004年のアテネ大会では症候群別の大規模センチネル病院サーベイランス[6]、2021年の東京大会ではSARS-CoV-2をターゲットとした下水サーベイランス[7]などが実施されてきました。今後もマス・ギャザリングにおけるサーベイランスの在り方を模索していく必要があると思います。大阪万博ではどのようなサーベイランスが計画されているのか把握できていませんが、すくなくとも医療機関に対しては一定の注意喚起をする必要があるでしょう。
ワクチン接種は他のどの予防対策よりも確実な感染対策といえます。2025年4月時点でマス・ギャザリングに関連した感染症予防として日本国内で接種可能なワクチン予防可能疾患は、インフルエンザ・新型コロナウイルス感染症・麻疹・風疹・流行性耳下腺炎・水痘・髄膜炎菌・百日咳・A型肝炎などになると思います。母子手帳やワクチン手帳などを確認して、未接種のワクチンがあれば、大阪万博を含めマス・ギャザリングに参加する前にはワクチン接種をしっかりと受けることをお勧めします。
防蚊対策も南米・東南アジア・アフリカでは重要です。蚊媒介性感染症は多種多様で、代表的疾患であるマラリア・デング熱・ジカウイルス感染症・チクングニア熱などに感染しないように、屋外では長袖長ズボンを着用する、虫よけ製剤をしっかり使用するなどの対策を怠らないようにしていただきたいと思います。大阪万博は4月から10月にかけて開催されますので、蚊媒介性疾患が海外から持ち込まれるリスクが高くなるかもしれません。
今後、グローバリゼーションがさらに進むことで、感染症リスクは逆説的に増加します。マス・ギャザリングとよばれる大規模イベントは文化交流・産業振興のためには必要不可欠なものですが、楽しく安全に開催するためには感染症対策を意識した運営がますます重要になってくると思います。呼吸器感染症が問題となることが多く、個人レベルの感染対策だけでは予防しきることが難しいでしょう。ワクチン接種が最も確実な予防方法ですので、上記に挙げたようなワクチン予防可能疾患については事前のワクチン接種で個人免疫および集団免疫をあげておくことが重要だと思います。特に、麻疹・髄膜炎菌・百日咳などのワクチンが重要だと思います。
皆さん、大阪万博に参加する前に、一度ご自身のワクチン接種歴を確認してみてはいかがでしょうか?
[1]Gautret P, Steffen R. Communicable diseases as health risks at mass gatherings other than Hajj: what is the evidence? Int J Infect Dis. 2016;47:46–52.
[2]Kanai M, Kamiya H, Smith-Palmer A, Takahashi H, Hachisu Y, Fukusumi M, et al. Meningococcal disease outbreak related to the World Scout Jamboree in Japan, 2015. Western Pac Surveill Response J. 2017;8:25–30.
[3]Gallien Y, Fournet N, Delamare H, Haroutunian L, Tarantola A. Epidemiological surveillance and infectious disease outbreaks during mass international summertime sports gatherings: A narrative review. Infect Dis Now. 2024;54:104889.
[4]Pao LT, Tashani M, King C, Rashid H, Khatami A. Antimicrobial resistance associated with mass gatherings: A systematic review. Trop Med Infect Dis [Internet]. 2024 [cited 2025 Apr 1];10. Available from: https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/39852653/
[5]Weiss BP, Mascola L, Fannin SL. Public health at the 1984 Summer Olympics: the Los Angeles County experience. Am J Public Health. 1988;78:686–8.
[6]Tsouros AD EPA. Mass gatherings and public health: the experience of the Athens 2004 olympic games. Regional Office for Europe: World Health Organization [Internet]. Available from: https://www.researchgate.net/profile/Panos-Efstathiou-2/publication/233387448_Mass_Gatherings_and_Public_Health/links/0fcfd50a02d36f1f68000000/Mass-Gatherings-and-Public-Health.pdf
[7]Kitajima M, Murakami M, Kadoya S-S, Ando H, Kuroita T, Katayama H, et al. Association of SARS-CoV-2 load in wastewater with reported COVID-19 cases in the Tokyo 2020 Olympic and Paralympic village from July to September 2021. JAMA Netw Open. 2022;5:e2226822.