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コラム

2026.06.04

【感染症内科ドクターの視点シリーズ20】
ARIサーベイランスの現状と課題
Disease X対策へ向けた社会インフラとしての期待

岡山大学学術研究院医歯薬学域 感染症学分野 教授

萩谷英大(はぎやひではる)先生

茨城県つくば市生まれ。岡山大学医学部卒業後、救急・集中治療領域での研鑽を経て、大阪大学医学部附属病院の感染制御部で感染制御・感染症診療を修得。総合内科専門医、日本感染症学会専門医/指導医、Certificate in Travel Health (CTH)、Certificate in Infection Control (CIC)など感染症関連の認定を取得。薬剤耐性菌が大好き(?)で、ヤバイ耐性菌が検出されたと聞くと逆にワクワクしてしまう性格を何とかしなければならないと感じている。

萩谷英大先生は、感染症の診断・治療と制御・対策、薬剤耐性、感染症の流行調査など、幅広い専門分野に精通されています。実際の現場で感染症診療や感染制御に従事すると同時に、研究活動にも注力されています。COVID-19の教訓を踏まえ、2025年から急性呼吸器感染症(ARI)の症候群サーベイランスが始まりました。今回は、ARIサーベイランスの意義や現状、課題を整理し、次のパンデミック対策としての期待と今後の展望を考察します。

はじめに“風邪”サーベイランスの新たな幕開け

COVID-19パンデミックという未曾有の危機を経て、私たちは感染症の早期探知と包括的なリスク評価の重要性を再認識しました。ネクスト・パンデミック対策の一環として、2025年4月より、感染症法の5類感染症の定点把握対象として「急性呼吸器感染症(Acute Respiratory Infection:ARI)」のサーベイランスが新たに開始され、その是非についてもこちらのコラムで話題提供をさせていただきました(【感染症内科ドクターの視点シリーズ 特別号】"風邪"の5類感染症移行は是か非か!?)

有事と平時をシームレスに繋ぐ次世代の感染症モニタリング体制の構築は急務であり、制度が開始された今だからこそ直視すべき「課題」があると思います。本稿では、開始から1年が経過したARIサーベイランスが抱える課題を深掘りし、医療DXを基盤とした今後の感染症対策の展望について考えたいと思います。

「疾患特異的サーベイランス」から「症候群サーベイランス」への転換とその意義

そもそも感染症の発生動向調査(サーベイランス)はどのような立て付けになっているのでしょうか。感染症法(第12条及び第14条)には、「診断医療機関から保健所へ届出のあった情報について、保健所から都道府県庁、厚生労働省を結ぶオンラインシステムを活用して収集し、専門家による解析を行い、国民、医療関係者へ還元(提供・公開)することで、感染症に対する有効かつ的確な予防対策を図り、多様な感染症の発生・拡大を防止するもの」とあります。


基本的に、日本のサーベイランスは患者発生サーベイランスと病原体サーベイランスに大別されています。本稿執筆時点において、患者発生サーベイランスでは全数把握として88疾患、定点把握として25疾患が指定されています。さらに定点把握では、患者情報及び、疑似症情報を収集する患者定点と、患者の検体及び当該感染症の病原体を収集する病原体定点に細分されています。前者は、全国約3,000か所の小児科定点(RSウイルス感染症、咽頭結膜熱、ヘルパンギーナ、A群溶血性レンサ球菌咽頭炎)、全国約5,000か所のインフルエンザ/COVID-19定点、全国約500か所の基幹定点(マイコプラズマ肺炎、クラミジア肺炎)、眼科定点などが定められていることは周知のとおりかと思います。一方で、病原体サーベイランスとは、患者発生サーベイランスで報告された患者に由来する検体から病原体を分離・同定し、病原体の動向を監視するもので、全数把握としてカルバペネム耐性腸内細菌目細菌(CRE)、侵襲性溶連菌感染症(A群溶連菌)などが対象とされています。


このように診断名ベースのサーベイランス体制では、ARI関連疾患(上気道炎や下気道炎症状を呈する疾患群)の全体の発生動向を把握することは難しいでしょう。診断されない疾患は報告対象にならないため、未知のDisease Xの発生トレンドをキャッチすることなど全くできないサーベイランスだったわけです。さらに、既知の疾患でさえ、疾患ごとに指定されている定点医療機関が異なるため、全体の発生数・発生割合は不明でした。すなわち、ネクスト・パンデミックが発生した際に、サーベイランス情報を感染対策に利活用し、迅速・柔軟に有事体制に移行可能なスキームではなかったのです。

新たなARIサーベイランス

これまでの内容をまとめると、「COVID-19パンデミックの教訓を踏まえ、今後のDisease Xに対する強力な早期探知システムとして機能すべく、特定の病原体に依存しない”症候群サーベイランス Syndromic Surveillance”が必要である」という社会的期待に応えるべく構築されたのが、2025年4月に開始されたARIサーベイランスということになります。感染症法では5類感染症の定点把握対象として新設され、全国約3,000カ所の患者サーベイランス(量的データ)と、約300カ所の病原体サーベイランス(質的データ)を組み合わせることで、国内センチネル・サーベイランスを継続的に実施するとともに、マルチプレックス診断とゲノム・モニタリングの融合を図る意欲的な体制となりました。


厚生労働省資料では、ARIサーベイランスの目的は以下のように記載されています。

①ARIの定義に合致する症例(症候群)より収集された検体から、各感染症の病原体等の発生数を集計し、国内のARI発生の傾向(トレンド)や程度(レベル)を把握すること。

②インフルエンザ、COVID-19、RSウイルス感染症等の感染症のほか、その他感染症を含む感染症について、流行中の呼吸器感染症を把握するとともに、検出された病原体分離株の解析を行うことで平時より呼吸器感染症の包括的なリスク評価を実施すること。 

③将来、新型インフルエンザ等感染症等が発生した場合にも、平時から継続的に動向を把握することが可能になるとともに、平時のサーベイランス体制への移行がスムーズとなることが期待される。 


①②③それぞれがまさに患者サーベイランス、病原体サーベイランス、そしてネクスト・パンデミック対策を意図した記載であることが分かります。さらに、ARIサーベイランスはWHO基準とも整合するため、ARI発生動向の国際比較も可能となりました。


表1. ARI関連疾患サーベイランスの新旧比較
従来サーベイランス ARIサーベイランス
対象 疾患特異的(診断名ありき) 症候群(臨床症状ベース)
サーベイランスの精度 定点医療機関における検査精度や実施状況が影響 症候群:検査不要
病原体:検査精度は高い
国際比較 ARIの比較は不可能 国際比較が可能
Disease Xの早期発見 不可能 可能

こうしたARIサーベイランス体制が始まり1年が経過し、国立健康危機管理研究機構(JIHS)の国立感染症研究所 感染症サーベイランス研究部から定期的にサーベイランス結果が公表されてきました。過去1年間は下に示すようなトレンドでしたが、概ね冬季のインフルエンザ流行とパラレルな報告数だったと考えられます。


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https://id-info.jihs.go.jp/surveillance/idss/target-diseases/acute-respiratory-infection/sentinel-sites/2025/ARI_2026w08.pdf


ARIサーベイランスが抱える課題

課題①:「Data for ACTION」の重要性

厚生労働省が推し進めるARIサーベイランスの目的には、「国内のARI発生の傾向(トレンド)や程度(レベル)を把握すること」と記載されているのみで、そのデータを基に「どのような感染症対策をするのか」が明示されていません。感染症サーベイランスは、“改善”を目指した“介入”を実施するためのものであり、「Data for ACTION(データは行動を起こすためにあるもの)」が大前提であるべきです。誰が(Who)、いつ(When)、どこで(Where)、何を(What)、なぜ(Why)、どのように(How)感染症対策を強化するのかという出口戦略が不可欠ですが、私の知る限りこうした内容は具体的に示されていません。


課題②:一般外来の「ARI」から入院を要する「SARI/ILI」への拡張の必要はないか

現在のARIサーベイランスは、主に一般外来(クリニック等)を中心とした「軽症患者」の動向把握が主体となっています。人口規模や国内面積を考慮しても、諸外国に比べてかなり入念なARI観測体制が整備されたことになりましたが、臨床の最前線で感染制御を行う立場から見れば、医療逼迫の回避や重症患者の発生予測につなげるためには、入院を要するようなSARI(Sever ARI)も対象に含め、連動させていくことが重要ではないかと思うのです。軽症患者のトレンドだけでなく、SARI/ILI(Influenza-Like Illnessインフルエンザ様疾患)サーベイランスと掛け合わせることで、どの程度の割合で重症化し病床を圧迫するのかという「質的評価」(=予測モデル)を構築することができるかもしれません。


課題③:医療DXの壁:夢の「電子カルテ情報」の自動抽出

ARIサーベイラスにおいて最も実務的かつ深刻な課題が、紙ベース・FAX運用からの脱却です。全数報告疾患に関しては、感染症指定医療機関に限定してオンライン報告が義務化されていますが、それ以外(指定医療機関ではない病院からの全数報告、またはすべての定点報告)は努力義務にとどまっています。定点報告では性別・年代のみを報告することになっており、それ以上の臨床情報は抽出されていません。有事には細かな臨床データも収集したい状況になると思いますが、現状のシステムだとそれは不可能です。


図1.ARIサーベイランスで用いられている週報
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また、努力義務とされている定点報告のオンライン化は多くの自治体でいまだ達成されていません。全数報告(医療機関管理者アカウント)と定点報告(医療機関アカウント)で別々のアカウントが必要になるというシステムの煩雑さや、週1回のみの報告であるため手書き・FAXの方が手っ取り早いという現場の負担感が背景にあります。 また保健所ごとにオンライン報告への移行に関する督促状況やサポート体制が異なることも理由の一つに挙げられると思います。全国の保健所管轄内のオンライン報告率(%)は公表されておらず、自治体間の競争が生まれないことも間接的な理由として挙げる必要があると思います


このアナログ作業の限界を打破するために、「医療DXによる電子カルテからの臨床データの自動抽出」に期待したいと思います。これが進むことで、医師(医療機関)が能動的に報告をする必要性がなくなり、症例定義に合致した症例が自動的に国のサーベイランスデータに汲み取られていくことが可能になるのではないかと思います。その結果、過少報告(Under-reporting)や医療現場の業務負担の問題も自ずと解決することでしょう。


しかし、電子カルテ上には未確定のまま便宜上つけられた病名や、過去の疑い病名が消されずに残り続けているなど、データの精度に悪影響をもたらす因子が潜在しています。単にシステムを繋いでデータを自動抽出するだけでは、不正確なデータ(ノイズ)まで国へ報告されてしまう懸念があります。また、患者の個人情報保護の問題も浮き彫りになるでしょう。次世代型ARIサーベイランスを真に機能させるためには、まだまだ解決するべき課題がたくさんあるというのが現状だと思います。

おわりに

次世代型ARIサーベイランスは、ネクスト・パンデミックを起こすDisease Xを早期に把握するための社会インフラといっても過言ではありません。新設されたARIサーベイランスデータを、下水モニタリングや調剤薬局データ、学校欠席者システム、SNSのトレンドワードなど多様な情報と統合することで、さらに感度の高いサーベイランスへと進化させることが可能なのではないかと考えています。医療DXの推進とゲノム解析を融合させ、社会を守る盤石なインフラへと育てていくこと、そのための実践的な議論と行動(ACTION)が今まさに求められています。


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